データ | |
行程 | 登り: 9:30四和郵便局〜焼山峠11:10 下り: 12:50焼山峠〜焼山橋の下手(迎車場所)13:50 |
コースタイム (歩行時間) |
2時間40分 |
同行者 | 夫 |
その他 | 下りは父の迎えあり。 |
今年で7回めとなるはつかいち縦断みやじま国際パワートライアスロン大会(通称ウッドマン)。バイクのコースは宮島の対岸から標高850mの焼山峠まで登り続ける過酷さが評判。実家がバイクコース最後のエイドステーションに近く、両親も毎年大会ボランティアをしているので、初回を含め何度か観戦してきた。そのときいつも思っていたのが、バイクコースの頂点となる焼山峠で応援してみたいということだった。駐車場所や通行止めの時間を考えると車で行けるようなところではないので、蚊取り線香や椅子を準備して(←夫担当)、徒歩で出かけてみることにする。 | ||
懐かしい初回2007年のボランティアTシャツ。実家でもらいました。 Tシャツのデザインは年々みすぼらしくなっています。初回のこれがいちばん格好良かった。 |
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所山の集落に入り、蓬莱橋(幟の左側)を渡ると、左手に四和郵便局を通り過ぎる。 | ||
さらに左手に河内神社を通過。 | ||
すると所山から焼山峠に至る激坂の前の、最後のエイドステーションが見えてきます。 | ||
エイドステーションを過ぎ、七瀬川左岸の道が続く。 (山登りをしない人は「右岸じゃないの?」と思うかもしれませんが、川は上流から見て右岸、左岸と言います。) |
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折休橋で左に道路が分岐。ここは直進。 | ||
人里からどんどん離れる。 この先で左に橋を渡り、右岸の道路となる。 |
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右手に見える川はこんな感じ。ヤマボウシの花が満開。 | ||
ふたたび川を渡ると、七瀬川渓流釣り場が見える。林道分岐を左折(写真)。すると比較的すぐにまた橋(大黒橋)を渡り、川を右下に見る道となる。 さあ、いよいよ焼山峠への途切れのない登りが始まります。 |
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緑のトンネルのような登り。 たいした傾斜ではないように見えるけれど、なにしろ平坦になることが一度もないので・・・。こういうのを「ボディブローのように効く」と言うのでしょう。 |
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だらだらとした登り坂を進み、焼山橋(写真)を渡ると、また左岸の道となる。この先、峠までずっと谷の左岸の道。 | ||
だんだん傾斜もきつくなってきます。 | ||
高度を上げていくと、カーブが何度も現れるようになる。 | ||
昨日のうちにかけておいた横断幕には、我々が毎回応援している男性の名前。彼は「海外大会の経験豊富」として、中国新聞にインタビュー記事が載った。そのインタビューに曰く 「春先から調整してどうにかなるような大会ではない」。。。 経験豊富な人がそう言うと、「やっぱりそうなんだ」と、ものすごく納得してしまいます。 |
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ヘアピンカーブが連なる、きっととても苦しい場所。大会のサイトのバイクコース紹介ビデオでは、「コンクリート壁が見えるともうすぐ」と書いてあるのですが、このコンクリート壁、くねくねとけっこう長く続きます(笑)。 | ||
ようやく峠が見えた。スタッフやテレビクルーの人たちが待ちかまえる。写真の奥で道路が見えなくなっているのは、あそこからようやく下りになるから。 ちなみに郵便局からここまで徒歩1時間40分。それを速い選手は40分くらいで登ってくるようだ。 |
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峠から30mほど下った地点で応援することにした。 | ||
最初の方に登ってくる人たちにはさすがに余裕を感じる。しかしほとんどの人が、歯をくいしばるか、泣きそうになるか、へろへろになるか、疲れすぎて無表情かで通り過ぎていく。それでも、「さあもう峠ですよー!」と声をかけると、サドルからお尻を上げてスパートをかける人もいて、応援のし甲斐がある。 |
峠にて、いまにも下りにかかろうとする選手たち。 あきらめずに頑張る姿に、素直に感動します。 |
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・・・という感じで応援して、午後1時前、空が暗くなってきた頃下り始める。すぐに雨が落ちてきた。まだ登ってくる選手の人たちに、すれ違うたびに声をかけながら下りていく。すると、焼山橋の手前で、「競技終了」の車が通り過ぎた。続いて棄権した人たちを乗せたバスとすれ違う。いまごろ吉和ではランの競技が続いていることだろう。 焼山橋から下手数百m、写真の滝がある地点で、雨が降るので迎えに来てくれた父の車に拾われる。 海から標高差850mを登る焼山峠越えは選手の人たちにとっても得難い体験だろうけれど、登り続けてまさに下りにかかるその地点での応援は、予想以上に感動の瞬間が多く、元気がもらえた。いい半日だった。 |