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行程 | 14:00安土城址正面口・・・14:10分岐・・・14:14黒金門跡・・・14:18本丸跡・・・14:20天主跡14:35・・・14:40信長墓所14:40・・・14:42分岐・・・14:50総見寺本堂跡14:55・・・14:57仁王門・・・15:10正面口 |
コースタイム(歩行時間) | 50分 |
同行者 | 夫、両親、弟、 |
その他 | 安土城郭資料館 200円/1人 信長の館 600円/1人 安土城址見学料 700円/1人 |
以前から父が行きたいと言っていた安土城址、彦根城、佐和山城址を組み合わせて、近江歴史探訪旅に出かけた。旅程作成担当はもちろん計画部。一日目は大津へ移動して安土と近江八幡、そして二日目は彦根城、佐和山城址、多賀大社を見て帰広という、あまり欲張らず、ポイントは抑えた計画を作った。 大津からはレンタカーで安土へ移動。車窓から、湖上はるかに浮かぶ雪の連嶺(比良山系)が見え、まったく期待していなかった思いがけない眺めに一同感嘆。 |
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安土に到着し、まずは安土城郭資料館へ。この資料館には、安土城天主の1/20スケールの模型があり、ビデオも見られる。(ちなみに普通のお城は「天守」、安土城は「天主」。) | |
屏風絵(陶板壁画)の安土城。天皇に行幸願う本丸御殿よりも、天主の方が高い位置にある。 | |
続いて信長の館へ向かう。ここには原寸大で復元した安土城天主の五層、六層部分がある。ほかに、本能寺の変の直前、信長が明智光秀に差配させた家康の饗応膳や、安土城の石垣となる巨大な石を運ぶ人々の人形の展示などがあり、じっくり見ているとすぐに時間がたつ。 | |
さて、予習をしっかりしたところで、安土城址へ向かいましょう。 | |
向こうに見える小山が安土山。 私は学生時代に研究室の研修旅行で来たことがある。「来たことがある」という記憶はある。しかし細部は見事なほど忘却の彼方(大汗;;) |
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天主跡へは、大手道の急な階段を登ります。ふだん歩いていない人にはきついですよ。実際、転んで怪我をしていたご婦人がいました。 | |
突貫工事だったため、付近の石仏や墓石まで使われたという階段。良く見ると確かに人型が浮かんでいます。 | |
いったん傾斜緩み、右折。 帰りはここまで下りて、写真の奥へと向かうことになる。 右折すると、さらに階段が現れ・・・、 |
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頑張って登っていくと、黒金門跡に至る。左側の巨大な石に注目(@ @) 簡単に持って上がれる大きさではありません。どうやって持って上がったかは、信長の館に行けばわかります(笑)。 | |
黒金門跡から先は安土城の中心部となる。 | |
この石垣を回り込むと、本丸御殿跡、 なのですが、現在は広い空き地となった曲輪跡が残るのみ。 |
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天主跡へ、最後の階段。 | |
こちらが天主跡。礎石が発掘されています。この上に、あの人を驚かせるような建物が建っていたのですね。 | |
天主跡からは、残雪の伊吹山が見える。 安土城建設当時の天主からの眺望は、周囲全部が琵琶湖だった。司馬遼太郎氏の『街道をゆく 近江散歩』を読むと、戦後の食糧難時代に埋め立てられてしまったとか。 |
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伊吹山から左に目を転じると、琵琶湖の碧い湖面の上に金糞岳。名前からもわかるように、湖北でもたたら製鉄が行われていたようです。 | |
さらに左側の湖上に、比良山系の山々。歩いたことのある両親は山座同定をしていたが、私は未踏なので、どれがどの山かいまひとつわからない;; | |
眼下の西湖。この場所からは湖面よりも干拓地の方が目立つ。 | |
近江富士方面。 | |
天主から引き返す。この写真で正面に見えるのが二の丸跡。その上に・・・、 | |
信長廟所があります。 | |
分岐まで戻り、旧ハ見寺跡へ向かう。 | |
旧ハ見寺跡。 | |
ここからは西湖を見下ろせ、往時の安土城からの眺めを少しだけ想像できる。 | |
寺跡の敷地から、三重塔の脇の階段を下りる。この搭は安土城建設時に移設されたということだが、建立されたのはそれ以前、1454年だそう。 | |
三重塔からさらに階段を下り、仁王門をくぐる。(写真は振り返ったところ。) | |
下りきると遊歩道はトラバース道となり、秀吉邸跡だという石垣を左に見て、大手道へと戻ってくる。 この後、近江八幡を観光。夕食の近江牛を楽しみに、宿泊場所へ移動した。 |