安土山(安土城址) 2017年4月2日


平野に浮かぶ安土山

地図とコンパスのイラストデータ
行程 14:00安土城址正面口・・・14:10分岐・・・14:14黒金門跡・・・14:18本丸跡・・・14:20天主跡14:35・・・14:40信長墓所14:40・・・14:42分岐・・・14:50総見寺本堂跡14:55・・・14:57仁王門・・・15:10正面口 
コースタイム(歩行時間) 50分
同行者 夫、両親、弟、
その他 安土城郭資料館 200円/1人
信長の館 600円/1人
安土城址見学料 700円/1人


登山靴のイラスト 以前から父が行きたいと言っていた安土城址、彦根城、佐和山城址を組み合わせて、近江歴史探訪旅に出かけた。旅程作成担当はもちろん計画部。一日目は大津へ移動して安土と近江八幡、そして二日目は彦根城、佐和山城址、多賀大社を見て帰広という、あまり欲張らず、ポイントは抑えた計画を作った。

大津からはレンタカーで安土へ移動。車窓から、湖上はるかに浮かぶ雪の連嶺(比良山系)が見え、まったく期待していなかった思いがけない眺めに一同感嘆。

安土に到着し、まずは安土城郭資料館へ。この資料館には、安土城天主の1/20スケールの模型があり、ビデオも見られる。(ちなみに普通のお城は「天守」、安土城は「天主」。)

屏風絵(陶板壁画)の安土城。天皇に行幸願う本丸御殿よりも、天主の方が高い位置にある。

続いて信長の館へ向かう。ここには原寸大で復元した安土城天主の五層、六層部分がある。ほかに、本能寺の変の直前、信長が明智光秀に差配させた家康の饗応膳や、安土城の石垣となる巨大な石を運ぶ人々の人形の展示などがあり、じっくり見ているとすぐに時間がたつ。

さて、予習をしっかりしたところで、安土城址へ向かいましょう。

向こうに見える小山が安土山。
私は学生時代に研究室の研修旅行で来たことがある。「来たことがある」という記憶はある。しかし細部は見事なほど忘却の彼方(大汗;;)

天主跡へは、大手道の急な階段を登ります。ふだん歩いていない人にはきついですよ。実際、転んで怪我をしていたご婦人がいました。

突貫工事だったため、付近の石仏や墓石まで使われたという階段。良く見ると確かに人型が浮かんでいます。

いったん傾斜緩み、右折。
帰りはここまで下りて、写真の奥へと向かうことになる。

右折すると、さらに階段が現れ・・・、

頑張って登っていくと、黒金門跡に至る。左側の巨大な石に注目(@ @) 簡単に持って上がれる大きさではありません。どうやって持って上がったかは、信長の館に行けばわかります(笑)。

黒金門跡から先は安土城の中心部となる。

この石垣を回り込むと、本丸御殿跡、
なのですが、現在は広い空き地となった曲輪跡が残るのみ。

天主跡へ、最後の階段。

こちらが天主跡。礎石が発掘されています。この上に、あの人を驚かせるような建物が建っていたのですね。

天主跡からは、残雪の伊吹山が見える。

安土城建設当時の天主からの眺望は、周囲全部が琵琶湖だった。司馬遼太郎氏の『街道をゆく 近江散歩』を読むと、戦後の食糧難時代に埋め立てられてしまったとか。

伊吹山から左に目を転じると、琵琶湖の碧い湖面の上に金糞岳。名前からもわかるように、湖北でもたたら製鉄が行われていたようです。

さらに左側の湖上に、比良山系の山々。歩いたことのある両親は山座同定をしていたが、私は未踏なので、どれがどの山かいまひとつわからない;;

眼下の西湖。この場所からは湖面よりも干拓地の方が目立つ。

近江富士方面。

天主から引き返す。この写真で正面に見えるのが二の丸跡。その上に・・・、

信長廟所があります。

分岐まで戻り、旧ハ見寺跡へ向かう。

旧ハ見寺跡。

ここからは西湖を見下ろせ、往時の安土城からの眺めを少しだけ想像できる。

寺跡の敷地から、三重塔の脇の階段を下りる。この搭は安土城建設時に移設されたということだが、建立されたのはそれ以前、1454年だそう。

三重塔からさらに階段を下り、仁王門をくぐる。(写真は振り返ったところ。)

下りきると遊歩道はトラバース道となり、秀吉邸跡だという石垣を左に見て、大手道へと戻ってくる。

この後、近江八幡を観光。夕食の近江牛を楽しみに、宿泊場所へ移動した。


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