キナバル山 4095 m  2000年1月24〜26日

キナバル山
キナバル公園から見上げるキナバル山

山のイラスト 山行決定から手配まで

マレーシアに駐在していた叔父叔母(母の妹)が、2000年春には帰国するからそれまでに遊びにおいでと、何度も誘ってくれていた。1999年11月、両親と私たち夫婦での霧島行きの車の中で、突然「行ってみようか!」という話になる。父は「ワシは行くんならもっとエエとこがエエ」と言うので、その時点では母と私で行くことに決定。(「もっとエエとこ」って、どんなとこ?)

「どうせ行くならキナバル山にも行きたい」と思ったのがその数日後。その頃、夫はちょうど勤続15周年で、会社からお金は出ないが(^_^;)、5日間の休暇がもらえることになっていて、その休暇(週末を入れて9日間)でどこに行こうかと思案していたところ。私が「キナバルに行こうと思う」と言うと、「ワシも行く」と言い出したのが12月。そこで私が手配をすることになった。

「キナバル山」と言えば、マレーシアとは言ってもマレー半島ではなくボルネオ島。雑誌広告の記憶への刷り込みというのは案外効果があるもので、「ヤマケイ」の付録で何度か見ていた「ボルネオ専門の旅行会社ジスコ」というのがすぐに浮かんできた。聞いたことのない旅行会社で、ちょっと不安。でも、電話をして見積りを頼むと、応対はけっこう親切かつ丁寧。確認作業もちゃんとしている。見積り額も充分納得のいく額だったので、手配を依頼することに。


山のイラスト 出発まで

さて、「3人でキナバル山へ」と意気軒昂な私たち、叔母にはクアラルンプール(KL)でおちあう予定にしていたら、なんと、年が明けて叔母までが登山を決心。初歩とは言えマレー語もできる叔母が参加するなら百人力、と大喜びのうちに出発が近づく。

今回は登山に加えて、KLで叔母のところに泊まり観光もする予定。おかげで荷物が増えてしまい、キャスターつきの小型スーツケースにサンダルや着替えを入れるとザックが入らない。そこで結局、登山靴をはいてザックを背負い、スーツケースを引っぱるという、ちょっと恥ずかしい格好の お3人様ができあがった。しかも日本は真冬、行き先は熱帯。ヤレヤレ・・・。


山のイラスト コタキナバル到着からキナバル公園まで

関空を出た飛行機はペナン経由でクアラルンプール国際空港(KLIA)着。ここでコタキナバル(KK)行きの飛行機に乗換え。KKに着いたのはもう夜中。パンボルネオ(現地旅行会社)の迎えの車でホテルへ。その日の夕方KKに着いていた叔母も迎えに来てくれて、顔を見てほっとする。ホテルでは早々にシャワーを浴びて寝た。

翌朝は6時頃起床。長時間のフライト疲れで体がだるい。ホテルの部屋からキナバル山が見えた。朝食のとき、代金を日本で払っていたにも関わらず請求される。文句を言おうと久しぶりに英語を使ったらむちゃくちゃだった。結局フロントがチケットを渡し忘れていたとわかり、解決。

8時半ごろ、パンボルネオのスタッフが迎えに来る。公園へ行く途中の道は、やはりアジアという共通項なのか、なんとなく日本の田舎に雰囲気がそっくり。もちろん建物の形や植生は違うのだけれど、ヨーロッパやアメリカの田舎で感じるほどの「異国」という感じがしない。

10時半頃キナバル公園着。レセプション・オフィスで明日からのガイド、シンディさんを紹介される。11時から公園内散策。約1時間半かけて、Silau-Silau TrailとMountain Gardenを散策。生姜の類がたくさんあった。ランは今季節ではないのがちょっと残念。それでも、ものすごく小さいのに生意気にランの形をしているものなど、いくつかを観察。

昼食はビジター・センターの中にあるダイニングルームでマレー風中華料理。パサパサごはんに何種類かのおかずをかけて食べるものだった。

夕方から風が強くなる。お昼と同じような夕食。味はどれも似たようなもの。でも野菜が多いのでうれしい。シャワーを浴びた後は、することもないので早めに就寝。

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