厳島弥山 (21)
(大聖院コース〜陶晴賢碑往復〜弥山本堂〜大聖院コース)
2008年10月11日


「観音様の涙」と言う人もあった
白糸谷の土石流跡(左側の鞍部直下)
(2006年撮影)

地図とコンパスのイラストデータ
行程

8:45宮島桟橋…9:00大聖院コース入口9:05…9:15白糸の滝…9:25あずまや9:30…10:10仁王門跡10:15…10:30上の奥の院分岐…10:40多々良林道岩船岳分岐…10:55先峠…11:15大江浦分岐…11:17陶碑分岐…11:25陶晴賢碑11:30…11:43陶碑分岐…11:46大江浦分岐…12:05先峠12:45…12:55多々良林道岩船岳分岐…13:14上の奥の院分岐…13:30仁王門跡…13:35御山神社分岐(鳥居)…13:40御山神社…13:45弥山本堂13:50…13:55仁王門跡14:15…14:45あずまや…14:55白糸の滝…15:00大聖院コース入口…15:10坂本菓子舗15:25…15:35桟橋

コースタイム(歩行時間) 5時間10分
同行者
その他 JR向洋駅〜宮島往復 1,300円/1人


登山靴のイラスト むかし、日本の大学で勉強していた中国からの留学生が、弥山から岩船岳に行こうとして道がわからなくなり遭難してしまった。遭難碑はいまも宮島にある。その留学生の名前は、


とうせいけん。







陶せいけん。。







陶晴賢。。。












ええっ (@o@)?!










この話T夫妻から聞いたとき、大爆笑してしまった。山好きなT夫妻らしい完璧なストーリーになっていたので(笑)。

2人とも関東出身のT夫妻が「すえはるかた」を知らないのはごく当たり前。一方広島出身の私が陶晴賢の名を最初に知ったのは、小学校4年生の社会見学で宮島に行ったときだったと思う。大元公園の血佛の前に集まり、陶軍が毛利軍に破れた話を聞いたときの絵が、いまでも頭に浮かんでくる。その後、大学で毛利家の史料を読んでいるときも何度も出てくる名前だった。

その陶晴賢が敗走中に自刃した山中に碑があることはもちろん知っていたが、わざわざ訪ねて行くには少々遠いのでなかなか決断できないでいた。つい先日(10月1日)、土石流で大きな被害を受けた大聖院コースが復旧され開通となり、仁王門跡の鞍部まで最短距離で行けるようになったのを機に、新しくなったコースを偵察がてら、陶碑を訪ねてみることにした。

そんなわけで今日は桟橋から大聖院へ向かう。駒ガ林を見上げながら歩くいい雰囲気の参道。

大聖院に向かって左側が登山道の入口。この付近は土石流の直後にはとんでもないことになっていた。あれだけの量の土砂を除くのは半端な作業ではなかっただろう。

新しくできた巨大な第二堰堤を越えると、白糸滝(奥の大岩のところ)が見えてくる。

白糸滝。周囲には流れてきた大岩や土砂がそのまま残り、被害の大きさを生々しく伝える。

滝を過ぎると、進路は右に谷から離れ、以前のままの階段の登りになる。あずまやまでつづら折れの登りが続く。

あずまやからしばらく尾根上の道。そしてふたたび白糸谷に近づき、谷を左に見下ろす道となる。谷の中には土石流で落ちてきた巨大な岩が居座っている。

支沢を渡る箇所のお大師さま方は以前のまま。

海上から見上げたときいちばん被害が大きそうに見えたのはこの付近。ここで以前の階段が途切れ、右側に新しい階段がつけられている。

新しい階段を登って見下ろすとこんな感じ。ものすごく急な流れの真下に、宮島の街が見える。

第一堰堤の下で右岸に渡る。最下部の第二堰堤付近と同様、大規模に整備されている。

対岸に見えるのは駒ガ林に続く尾根。こちら側にもえぐりとられたような土石流の跡が・・・。

付け替えられた遊女の石畳を通り、寄進を示す石碑があるこの場所で、ふたたび左岸に戻る。

この感じのいい階段は以前のまま。ここからひと登りで仁王門跡の鞍部。

鞍部を直進し下っていき、奥の院への分岐(写真)を見送り、多々良林道を下りていく。

威風堂々。自信にあふれた雄ジカ。こういうのは桟橋付近ではなかなか見られません。

分岐を左に林道を離れ岩船岳へのルートに入ると、先峠までとても急な登り。

先峠からは先峠山の南側をトラバースして下っていく。遠くに見えるのは岩船岳。まだ1回しか行けていませんが・・・。

10月だというのにツクツクボーシが鳴くような陽気で、シダの勢いも夏のまま。この後、尾根に乗り大江浦分岐を右に見送る。

尾根上にある陶晴賢碑への分岐。ここを左に下りる。ここから陶碑までは、山本隊長のこのページを参考にさせていただきました。

道はこんな感じ。2箇所ほど、とても急な斜面をジグザグに下りていくと・・・、

沢の右岸の道となる。

沢を渡る。

この標識のところを左に入り、岩が点在する中を見渡すと・・・、

「高安原 陶晴賢敗死之所」 ちゃんとした山道とてなかったろうに、ここまでどんな思いで逃げてきたのか。そしてどうして他の場所ではないここを最期の地と定めたのか。碑の向いている方向には何の変哲もない木立があるばかり。せめてお酒でも持ってくれば良かった。

稜線への登り返しは、道が見えづらい箇所がある。落ち着いて見直せば大丈夫。

稜線に戻り、502ピークを眺めつつ先峠に戻る。風の吹き抜ける先峠でランチ。

多々良林道から仁王門跡に登り返し、弥山本堂を往復。写真は鯨岩付近から見る502ピーク(左)。矢印の下がランチをとった先峠。

下山はふたたび大聖院コース。同じ谷道の紅葉谷コースに比べてこちらは随所に展望があり明るい。

大鳥居や厳島神社や塔の丘を見下ろして歩き・・・、

第二堰堤の向こうに大聖院の堂宇が見えてくると、そろそろ終点。同じく災害後に整備された紅葉谷コースのように、今はただ新しさだけが目立つこのコースも、いずれ古びていい感じになっていくのだろう。

おまけ。
カフェ併設となった坂本菓子舗の「和栗もんぶらんもみじ。」
おいしいです(^-^)v けど
「20個くださいっ!」って、夫、誰にそんなに配るつもりだ?


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