羅漢山 1109m (3)  2008年12月7日


オオカミジョウから見る羅漢山


地図とコンパスのイラストデータ
行程

9:40ヒナタゴヤ峠…9:50キツネジョウ…10:30別荘地分岐10:35…10:45オオカミジョウ10:55…12:00羅漢山山頂12:50…13:10坑道跡…13:20仏岩…14:13県境尾根に戻る…14:20本郷トラバース分岐…14:25オオカミジョウ14:50…14:55別荘地分岐…15:15キツネジョウ…15:20ヒナタゴヤ峠

コースタイム
(歩行時間)
4時間10分
同行者
その他 スパ羅漢(入浴) 800円/1人


登山靴のイラスト 夏になる頃、『西中国山地』をめくっていると、羅漢山のページに「ヒナタゴヤ峠」という魅力的な地名を見つけた。ヒナタゴヤ峠(日南木屋峠)は中道から美和へ抜ける道の頂点で、その峠から西へ県境尾根を登っていくと、ガイドブックに載っている別荘地からのコースと合流し、オオカミジョウ(男岩)を経て羅漢山頂に至る。そこで思い出したのが、以前仏岩側から登ったときに、仏岩からオオカミジョウへの道を記した案内板を見たことだった。もしその道がいまもあるなら、仏岩に下山して周回コースにすることができる。

そう思ってネットで検索すると、『西中国山地』をベースにした山歩きならこの人をおいて他にない、Kさんの記録が1件見つかった。それが唯一の参考になる情報。(ほかにも数件、ヒットはしますが。)その記録によると、やはり仏岩から羅漢山の南面をトラバースしてオオカミジョウの少し上に戻れるようだ。ただ、全体を通してしっかりとした道というほどではないような印象を受けた。だから藪が濃く、笹の勢いも旺盛、マムシも出そうな時期は避けたい。そこで半年以上も冬が来るのを待っていた。

半年間の雌伏(笑)の末、「いざ」と予定していた12月最初の週末、急に冷え込んで雪が降った。12月いっぱいは雪のない冬枯れの山を徘徊できるつもりでいたので、雪の山を歩く心の準備はできていない。どうしよう〜と悩んでいると、いつものように夫から、「行ってだめだったらあきらめるか別のところに行けばいいじゃないか」と、たいへんに前向きなお言葉があり、予定通り出かけることになった。ただし、ワカンやアイゼンやストックをしっかりと装備に追加。「冬は荷物が増えて面倒だな〜」と、ちょっと億劫になりながらも出発した。

廿日市市と岩国市との境であるヒナタゴヤ峠。この写真の右手から山に入る。

最初に斜面(写真)を登り、すぐに尾根に乗って右折。(写真は下山時に撮ったもの。)踏み跡と言えるほどのものがあるのかどうか、あったとしても今日はもちろん雪でわからない。

しばらく尾根を北上。倒木は多いが、積もった雪がちょうどよい厚さで足元の笹や小枝を隠してくれ、意外に歩きやすい。「今日来たのは正解だったかもね」と話しつつ登っていく。ただこのときは、尾根の上部でこの中途半端な雪の量に苦しめられるとは思ってもいなかった。

歩き始めてから10分ほどで、東西方向の尾根に乗る。キツネジョウやタヌキジョウがある。が、大きな岩があまりにもたくさんあるので、どれがどれやらよくわかりませんでした(-_-;;

山頂までは県境尾根を忠実にたどればいいので迷うことはない。

812m地点の南西にある小ピーク。ここで行き止まりになっているように見えるが、右側の倒木地帯(写真には写っていません)を越え、県境尾根の上を行く。

尾根上には仏さまがあちこちに鎮座しておられる。ここを往き来した里人に思いを馳せて、ゆるく登っていく。

またまた倒木地帯。やがて別荘地からのコースが右からあわさり・・・、

指道標も出てきて、しばらくは歩きやすい。

そして登り着いた小ピークの北側にオオカミジョウがある。オオカミ、いたのでしょうか・・・。

何度めかの倒木地帯。

左手に大島を遠望。

次第に道が笹に覆われてきた。この地点に本郷方面への分岐の看板がある。帰りはここに戻ってくる予定(だった・・・)。

頭上に雨レーダーが見えた。ここでアイゼンをつけておけばよかったが、あと少しだと甘くみたのが間違いだった。

そこからすぐに尾根の斜度が上がり、とんでもない急登になってきた。

周囲は濃い笹薮。雪がなければただ笹を漕いでがむしゃらに登ればいいのだろうが、中途半端に積もった雪は笹の勢いを弱めるどころか、雪の重みによる応力をためこんだ笹はつねに反発しようと待ち構えていて、その中に入り込むと四方八方から力を感じてまともに動くことができない。まるで笹が意思を持ってこちらの動きを阻んでいるかのようだ。そんなところへ無防備に突入しようものなら、動きがとれない上に笹に積もった雪がすべて自分に降りかかってくる。
足元は雪で滑り、岩で滑り、傾斜で滑り、雪だるま状態になりながら何度転んだことか。悪態をつきそうになるのをかろうじてこらえ、足場のいい地点で後ろを振り返ると。。。

樹氷の額縁。12月のうちにこんな景色を見られるとは思っていなかった。

そして体の向きを変えると、またまた笹藪。この写真は別に姿勢を低くして撮ったわけではありません。目の高さでこの状態。いや〜ん;;

傾斜が緩んでくると、ようやく雨レーダーの裏側に出る。深雪をラッセルするのと同じような遅々とした進み具合で、雨レーダーが見えた地点からここまで、30分以上かかってしまった。

山頂部は嘘のように歩きやすい雪面。誰もいない。

山頂にある展望あずまやでランチ。気温マイナス5度。樹氷の向こうに瀬戸内海を眺める。

こちらは左側から弥山、経小屋山、岩船岳、そして手前に河平連山と傘山、さらに手前に三倉岳〜瓦小屋山など。

北側は鬼ガ城山(右)と容谷山(左)の間に冠寂地山塊。この部分だけ雲が低くなっていて残念。この写真の右奥には十方山方面、そして左側には安蔵寺山、小五郎山、香仙原、さらに遠く十種ガ峰まで見えていた。

下山は尾根を西へたどり、最初の分岐を左、次の分岐も左に下りて、仏岩を目指す。

坑道跡の上においでになる仏さま。見事なツララです。

山道を下りきり、左に分岐する工事中の林道に入る。この林道は前に来たときには影も形もなかったので面食らっていると、すぐに左に上がる小道があり、仏岩の手前の斜面に乗った。

岩に彫られた仏さま。右側に「羅漢寺」とある。

仏岩から先に山道はなかった。仕方なく工事中の林道へ下りる。どうしようかと迷ったが、山頂へ登り返して雨レーダーの下のあの急な尾根を滑り落ちるのも嫌だったので、魅力的とは言いがたいその工事中林道を先へ進んでみた。

左上にヘカ岩(おそらく)を見上げて歩いていくうちに、工事の終点に至り、植林帯の中に導かれた。

植林帯にも道と言えるようなものは見あたらなかった。仏岩でオオカミジョウの少し上部にコンパスをあわせておいたので、それを頼りに谷を渡り尾根を乗っ越してひたすらトラバースしていけば朝登った尾根に戻れるわけだが、仏岩から林道へ下りた地点で高度が下がっている分、本来(あるはず)の道よりも下を歩いているような気がする。そこで、しばらく急な斜面を慎重にトラバースした後、はっきりした尾根に乗った地点からその尾根を登り返し、高度を上げてみた。道があるとすれば、いずれこの尾根と交差するはずだ。

最初のトライは失敗。道らしきものは見当たらない。そこでそこからまたトラバースし、もう一度尾根に乗った時点でさらに高度を上げてみた。

するとこんどは植林帯を抜け、潅木がからまる自然林となった。やはりここにも道はないようだ。

←自然林の高さから遠望する大峰山。

自然林は眺めている分には明るくて気持ちがいいが、潅木が好き放題に成長してとんでもない密度になっている。そこに突入してトラバースするのはただ体力を消耗してしまうだけだし、そもそも突入できそうな隙間が見つからない。

植林帯のほうがよほど歩きやすいだろうと、さっき登った急な斜面を下り、植林帯まで下りた。そこからはあまり高度を変えないようにしてトラバースを続行。そしてようやく朝登った尾根にぶつかり、ひと安心。ただ、高度を上げた分、分岐よりも上に出たようだ。果たして下っていくうちに、分岐の指道標があった。

その箇所からトラバース道(であるはずのもの)を眺めると、細々とした踏み跡程度のものがあるような、ないような・・・(写真)。しかも生い茂った笹の上には雪が積もり、これでは高度を変えなかったとしてもこの道(らしきもの)を発見できていたかどうかわからない。

ともあれ、あとは自分たちの足跡をたどって倒木帯を突破し、県境尾根を下るだけ。オオカミジョウの場所(写真)でコーヒータイムとした。

下山後、峠を美和側に下ってみた。下った先にある集落の、「根木の骨(ねきのこつ)」という地名に惹かれるものがあったからだ。『西中国山地』によれば、木の根が骨のようになったものがたくさんあった土地なのだという。「根木」は文字通りの意味なのだろう。しかし広島西部方言では家の側などを「ねき」という。(いまではよほどの高齢の方からしか聞けません。ちょっと、懐かしいですね。)骨のようになった植物の残骸が、「ねき」、つまりそこら中にあったからこんな変な(でも素通りできない)地名になったのかもしれないと、勝手なことを思ったりした。

集落に下りてみると、どうも道路の様子と分岐のし方に既視感がある。よく夢に出てくるあの曲がり方、あの分岐。どうしてだろうと思って帰宅後道路地図を眺めて理由が判明。子どもの頃、ドライブが好きな父が母の里(山口)に行くたびにいろいろ違う道をとっていた中のひとつが、秋掛を通ってこの根木の骨に下り、本郷を経てR9から山口市に行くルートだったのだ。

その頃、根木の骨などという地名を知るよしもなかったが、秘境に育った私ですら、子ども心にさらなる秘境を感じていたこの土地。そんな何十年も前のことが突然蘇ってきて、しばらくじっと地図を眺めていた。


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