データ | |
行程 |
10:05駐車場・・・10:14第三・・・10:30馬の背/柳谷コース分岐・・11:03新太平坑分岐・・・11:05銅山峰ヒュッテ分岐・・・11:33銅山越・・・11:38大和間符分岐・・・11:50前山周辺12:05・・・12:08銅山越・・・12:24銅山峰ヒュッテ分岐・・・12:27銅山峰ヒュッテ・・・12:57柳谷の橋・・・13:15第三・・・13:25駐車場 |
コースタイム(歩行時間) | 3時間05分 |
同行者 | 単独(夫東平で待機) |
その他 |
昨日は東赤石山から下山後、伊予西条市に宿泊。今日は西赤石山から見下ろした別子銅山の東平(とうなる)地区の遺構を見に行きます。 | |
ホテルの部屋から見る今日の石鎚山。 もうほとんど残雪はないように見える。 |
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同じみになってきた別子ライン(県道47号)の東平分岐。 | |
東平地区に到着し、最奥の駐車場に車を停める。まずはツマだけが銅山越を目指して山登り。その間夫は車いじり。 | |
大マンプが穿たれた尾根を回りこんで、渓谷遊歩道を歩いて行くと・・・、 | |
東平採鉱本部跡に出る。 | |
左上に第三変電所跡。 | |
続いて第三通洞。 | |
往時、旧別子側と行き来したつづら折れの道を登っていく。 | |
石畳と石垣の残る道。 | |
柳谷コースと馬の背コースの分岐。 右側の馬の背コースから登り、左方の柳谷コースから戻ってきます。 |
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樹林帯の中、さらにつづら折れの登りが続く。 | |
新太平坑との分岐に出た。ここは左折。 | |
すぐに銅山峰ヒュッテと銅山越の分岐。右にとって銅山越を目指す。 帰りはここを銅山峰ヒュッテの方へ進みます。 |
良い感じの道。 | |
左側の展望が開け、西赤石山と兜山が見えた。 | |
銅山越手前、緑が美しい道。周囲のコケも美しい。 | |
ふたたびの銅山越。 今日は写真の左側から登ってきた。前回は写真の右側(旧別子側)から。 |
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展望を求めて銅山越を右折し、西山方面へ。 |
西山手前の前山を今日の終点とした。新居浜市街と燧灘を見下ろす。 |
終わりかけのツガザクラの花。 | |
西赤石山の展望。(いちばん左側のピークが山頂。) | |
銅山峰ヒュッテへ。とても山小屋らしい佇まい。泊まってみたくなる。 この辺りは上部鉄道の角石原停車場跡。こんな高さに鉄道を敷いた事実が物語る明治という時代の活力に感動を覚える。 |
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ヒュッテのすぐ側にある第一通洞(八丁マンプ)北口。案内板には「明治19年に貫通。坑内には軌道が敷かれ、人車や馬車によって輸送を行っていた」とある。 | |
柳谷コースを下山。トラバース道の右側には、上部鉄道の石垣が残る。 |
石垣と石畳。 いくつもの木橋で支沢を渡り、斜面をジグザクに下りていき・・・、 |
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この橋で柳谷を右岸から左岸へと渡る。 | ||
柳谷左岸の道。この後、馬の背コースとの分岐に戻る。 | ||
下山後は東平の遺構を見学。 こちらはプラットホーム跡の建物(現在はマイン工房)。 |
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インクライン跡を下りる。仰角21度。 | ||
索道基地跡、貯鉱庫、選鉱場跡等の遺構。 | ||
上から見るとこんな感じ。 「東洋のマチュピチュ」だそうです・・・。(←そのキャッチフレーズはどうなのかと思う。) |
元禄3年(1690年)に銅山峰の南斜面で露頭が発見されてから昭和48年(1973年)に閉山されるまで、283年間の長きに渡り、旧別子から東平へ、上部から下部へ、そして地下深くへと掘り進んでいった別子銅山は、国内屈指の産業遺構だろうと思う。もっと知りたいが山登りと一緒では時間が足りない。そこで時を置かず7月初旬には、山なしでマイントピア別子と別子銅山記念館を訪れた我々だった。 |