恵那山 2191m  2001年7月26日

中津川より恵那山
中津川から見上げる恵那山
登山口はこの写真の まだまだ、まだまだ 左

地図とコンパスのイラストデータ
行程 5:41追分登山口・・・5:51左岸に渡る・・・(トラバース5分でつづら折れ)・・・6:07鳥越峠6:12・・・6:18「山頂まで5.0km」指導標・・・6:28「4.5km」指導標(右折)・・・6:33尾根・・・6:37ウバナギ振り返る・・・6:41休憩6:45・・・6:47「4.0km」指導標・・・6:59大判山・・・7:05「3.5km」指導標・・・7:21「3.0km」指導標・・・7:27休憩7:35・・・7:48天狗ナギ・・・7:51「2.5km」指導標・・・8:00小ピーク8:06・・・8:18「2.0km」指導標・・・8:34休憩8:40・・・9:05分岐点9:12・・・9:30神明社、「0.5km」指導標・・・9:34避難小屋・・・9:42山頂10:15・・・10:22避難小屋(トイレ)10:30・・・10:49分岐点・・・11:27「2.0km」指導標・・・11:23休憩11:28・・・11:40天狗ナギ・・・11:53「3.0km」指導標・・・12:06「3.5km」指導標・・・12:10大判山・・・12:20「山頂まで4.0km」指導標12:23・・・12:35ウバナギ、ピーク巻きに入る・・・12:37「4.5km」指導標・・・12:46「5.0km」指導標・・・12:52鳥越峠・・・13:03涸れ沢・・・13:10登山口                                       
コースタイム(歩行時間) 6時間04分 (26,745歩) 
同行者 父、母
その他 川上村福祉施設の温泉 200円/1人
名神道 多賀SA ハイウェイホテル 700円/1人


登山靴のイラスト 4時起床。民宿の人を起こさないよう静かに身支度をしたつもりが、最後の最後に2人続けて階段を踏み外した >_<  思いっきりヒンシュクを浴びつつ、民宿の玄関を出る。それでも奥さんが起き出して、見送ってくださった。台風のような登山客3名を気持ちよくもてなしてくださり、ありがとうございました!

昨日のうちに登山口を教えてもらっていたので、馬籠を出て迷うことなく林道に入る。強清水で登山届けを提出した後、追分登山口へ。民宿から約40分。道路に座り、作ってもらっていたオムスビで朝ご飯にする。恵那山の登山道は、人気のある黒井沢ルートが去年の大雨で通行禁止になっているので、残るは長い尾根歩きの神坂(みさか)峠ルート。教えてもらった追分登山口は、その神坂峠ルート上の鳥越峠に出るもの。神坂峠から歩くよりは、往復で40分程度短縮できる。

登山口を入ると、いきなり石ゴロゴロの涸れ沢の中。バカ正直に直登が続く。このまま峠まで直登か、と思っていると、登山道は10分ほどで左岸に渡り、そこから山腹のトラバースとなった。西に進むこのトラバース道は案外長く感じる。「これじゃ峠に出ないよー」と不安になる頃、やっとつづら折れの登りとなり、鳥越峠に至る。

峠からは今度は山腹を右に見てトラバース。右上に見えるピークをいくつか通り過ぎ、「山頂まで4.5km」の指導標のところで右折して、稜線に出る。眼下にはウバナギという、大きな崩壊地。工事現場の出来損ないみたいな色あいで、中央アルプスのイメージには似つかわしくない。でも、谷から吹き上げる風は心地よい。


大判山付近にて
稜線に出ると陽ざしが暑い。湿度が高いので、まとわりつくような暑さ。おまけに空気は白っぽくて、遠くまでの展望は望めない。何度かアップダウンを繰り返すと、三角点のある1695ピーク(大判山)に出た。時刻はまだ7時。行く手を見ると、恵那山山頂部の稜線との間には大きな谷が横たわり、山頂がとても遠くに見える。

【山頂はまだ遠い
白っぽく見える崩壊地の左側の尾根の上あたりが山頂】


大判山からまたアップダウンを繰り返し、1820ピークを通過。そこを下ると、笹の中を右手に上がる踏み跡がある。それを登ってみて初めて、そこが天狗ナギ(崩壊地)であることがわかる。下にバイパスもあるけれど、踏み跡があるということは、上を通っている人も多いのかも知れない。


原生林
更に小ピークをひとつ越え、登りにかかると、平たくなった場所に出る。見渡すと、さっきまでとは植生が全然違う。思わず「きれいな森だね〜」とため息が出る。

その「きれいな森」には急登が待っていた。原生林の中、ほぼ一直線に稜線に向かって道が伸びる。浮き石が多くて、ちょっと歩きづらい。道ばたにはゴゼンタチバナの花がたくさん。これで気が紛れる。


【原生林の急登】


バイケイソウ
案外長い原生林の登りをこなすと、やっと分岐点。左折して山頂部の稜線に入る。山頂までは約30分。途中にバイケイソウがたくさん咲いている雰囲気のいい場所があり心がなごむ。

【バイケイソウ咲く林床】


きれいで立派な避難小屋を過ぎると、5分で山頂。休憩込みで4時間かかった。展望がほとんどなかったので、ただただ、「歩きましたー」という感じ。さて、そこで、この山が百名山であったことを思い出す。「深田センセイ、ちょっと趣味がシブすぎるんじゃ・・・」というのが正直な気持ち。深田センセイがいいと思った山を自分も同じようにいいと思うかどうかはわからない。時代も違えば登った日の季節や天候も違うわけだし。だから、百名山を自分のスタンダードで再評価することもなく、ただ数をこなしたことを自慢するのは、なんだかつまらないしみっともない気がする。「たくさんの中の100」じゃなくて「初めから100」なのも、私には変な感じ。自分の登りたい山に行ったら、たまたま深田センセイがそこを百名山としていた、それでいいのではないかと思う。

下山は同じ道を引き返し、いくつもピークを越えていく。7時間半も山の中にいて、この日出会った他のパーティはたったの4つ。静かな山歩きという点では、中国地方の里山に劣らない(笑)。そう言えば、中津川から恵那山を見上げたとき、「あれ〜、うちから見える呉娑々宇山が大きくなったみたい」と感じたのだけど、そのイメージ通り「大きな里山」を歩いた、という印象が残った。下山したときは、「もう来ないね、たぶん」と思ったけれど、何日か経ってみると、アップダウンが多く歩きがいのある登山道が懐かしくなってきた。機会があったら、また行ってもいい・・・、ような気がする。


 今日のおフロまでの道のりは遠かった。そもそも、下山地のすぐ近くにある「クアリゾート湯舟沢」が休館だったのが放浪の始まり。地図で見ると最寄りの温泉は坂下町の「やすらぎ温泉」。この安易な名前に一抹の不安を感じつつ、国道19号をさかのぼり、木曽川を渡って坂下町へと向かう。けれど看板にしたがって走ってみても、どこにもそれらしきものがない。ちょうど道路に出ていた女性に尋ねてみると、「あー、もうやってない!」  うわー、やっぱり!

けれど、捨てる神あれば拾う神ありで、その女性が耳よりな情報を教えてくれた。「ここから車で15分ぐらいのところに、川上(かわうえ)村がやってる温泉があるよ!ちょっとわかりにくいけど、村の人に聞けばみんな知ってるから。」  そこで峠を越え、川上村に入る。「わかりにくい」と言われた通り、どこが温泉やら全然見当がつかない。人に尋ねようにも、誰も歩いていない。なんだか「所サンの『一億人の川上村』」みたいになってきた。しばらくぐるぐる運転して、やっとのことで「第一村人発見!」 ほのぼの笑顔のそのオジイサンに聞いてようやくたどり着いたのは、「温泉」ではなくて川上村福祉ナントカ施設。「福祉」って・・・、これではわからなかったのも道理。

さて、施設の中に入ると、「利用者は住所と名前を書いてください」と言われる。広島から来たなんて、ちょっと恥ずかしい、と思いながらも正直に書くと、案の定、職員の女性の好奇の視線。「なんでまた広島から。近くに親戚でも?」 事務所のみなさんも聞き耳をたてていらっしゃるのが感じられる。「実は・・・」と身の上話を披露し、村のみなさんに夕食時の話題を提供してから、やっとおフロにたどり着いた。

おフロは わかし湯だけれど、ちゃんとした温泉。恵那山でたっぷりかいた汗が長時間の放浪で冷えてきていたので、お湯がとてもうれしい。新しい設備で、きれいな洗い場。気持ちよく入らせてもらった。


ランプのイラスト 中央道に乗ったのは午後5時半ごろ。疲れているので今日中に広島に帰るのは危ない。2時間ほど走って、名神道の多賀SAにある「ハイウェイホテル」に泊まることにした。「どんなとこかなー」と興味津々。700円払って通されたのは、簡易ベッドがずら〜っと並んだ休憩室。おフロつきで時間制限は10時間。ちゃんと横になれるのがありがたい。眠れなければ何度でもおフロに入れる。豪華な料理の温泉旅館も素敵だけど、それが主目的でないときは、こういうのも悪くない。

翌朝は5時に出発。廿日市ICに戻ったのは11時すぎ。走行距離は1,500km。(とエラそうに書いているけど、運転したのはほとんど父でした。どうもお疲れさま。)


帰ってから偶然手にした新田次郎の『槍ヶ岳開山』を読むと、播隆上人のたどった足跡や山々の位置関係がなんとなくわかる。「わかる」ということにちょっとしたうれしさを感じ、ナルホド、こういうふうにして人はアルプスと呼ばれる地域にハマるのか、と、理解した気分。次にまた高い山に行くためにも、楽しい低山歩きを続けようと決めた。

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