シャムス山 バルコニーウォーク
(オマーン アフダル山脈)
2004年5月4日

山頂部分に崖を見せて高くそびえるシャムス山
アルハムラ付近より見上げるシャムス山3009m


データ
行程

8:05アルハティム…7:35休憩7:45…9:20休憩@ケルン群9:30…10:00サップバニハミス廃村10:50…11:40休憩11:50…12:25アルハティム

コースタイム
(歩行時間)
3時間 (行動時間4時間20分)
同行者
その他


登山靴のイラスト 「オマーン」という国が最初に私に印象づけられたのは、もう10年以上も前、夫と行ったイギリス田舎巡りの帰りのガトウィック空港でのことだった。手荷物検査の女性係官が中東のスタンプだらけの夫のパスポートに目を止め、不信感を露わにした目つきで彼を質問攻めにし始めたのだ。曰く、「オマーンには何故行ったのか」、「オマーンに友だちがいるのか」、「オマーンで何をしたのか」、「オマーンから何か持って帰ったか」、「オマーンの人とは今でも交信しているのか」・・・(以下最初に戻って繰り返し)。今考えてみると何故「オマーン」だけが特別に注目を浴びたのやら、彼女の無知ぶりがおかしいのだが、中東とは縁のない生活をしていた当時の私は、「オマーンって、そんなに警戒を要するコワイ国なのか・・・」と素直に思い込んでしまっていた。

ところが、ドバイに来てから出会ったオマーン体験のある人たちは、1人として かの国のことを悪く言わない。それどころか、「オマーンの人は素朴で親切で、街も落ち着いているし、景色もいい。オマーンは素晴らしい国だ」と、手放しのほめ方をする。また私が知り合ったオマーン人も、それらのコメントを裏付けるかのような、素朴で真面目で謙虚な人なのだった。その上、何度もオマーン出張に行く夫が、「(首都)マスカットはドバイとは全然違うよ。山があるしなー」などと言うものだから、私のオマーン熱は高まるばかり。早く行きたいと思っているうち、今年から夫のいる現地会社でも日本とほぼ同じゴールデンウィークの休暇がとれることになり、ようやくその希望がかなうことになった。

これまでにもUAE領に食い込んでいるオマーン領の山には行ったことはあったが、正式に国境を越えるのは(私は)初めてだ。ドバイからオマーンの首都マスカットまでは車で5時間。しかしこれは何ごともなければの話で、しょっちゅう変わるイミグレーションのルールのせいで、今回はたっぷり2時間も国境近辺でうろうろしなくてはならなかった。

オマーンにはアフダル山脈(アフダルはアラビア語で「緑」)という3000m級の高い山脈が走っている。しかもその最高峰シャムス山(3009m)は山頂まで行くルートがあるとあって、1日を山登りに当てることにした。当然山頂まで行くつもりで・・・。しかしときはすでに5月。アラビア半島に暑さが押し寄せて来る季節である。ドバイからマスカットに移動した日の夜、気温44℃の中、汗だくになりながらマトラスークをひやかして歩いているうちにすっかり気持ちが萎えた私たちは、あっさり山頂をあきらめ、シャムス山のルートの中でもいちばんお気楽な「バルコニーウォーク」を行くことに決めた。

マスカットで1泊し、翌日内陸の古都ニズワまで更に2時間。そしてトレッキングの起点となる村までは、更にそこから2時間かかる。そこでニズワに3泊する計画を立て、旅程3日めを観光と登山口への道路確認にあてた。


"Adventure Trekking in Oman"
【参考にしたガイドブック】


アラビア語と英語併記の道路標識旅程4日めの早朝5時、ニズワのホテルを出発。幹線道路を右に曲がり、アルハムラの街が近づくと目の前に大きく迫るのがシャムス山だ(トップの写真)。アルハムラの入口で左折して、今度は山を右手に見ながらグル村を目指す。グル自体が谷のどん詰まりのような相当山深い場所にあるのだが、登山口へは更にその先1時間余りかかる。ここまでが昨日確認した道。


【アルハムラの道路標識】


崖の中腹にある石作りの建物群
【朝日を浴びるグルのオールドビレッジ
ニュービレッジは別の場所にあり、
現在ここには誰も住んでいない】


参考にしたガイドブックでは、グルからはオフロードに近く、四駆でなければ行けないように書いてあったが、オマーンでは急速に道路網が整備されているらしく、標高2000m付近までほとんど舗装されていた。小さな村をいくつか通り過ぎると、 道路はつづら折れを繰り返して、どんどん高度を上げていく。シャムス山の「シャムス」とはアラビア語で太陽という意味だが、まさにここは「太陽に向かう道路」。夫も同じことを考えていて、「"Going-to-the-Sun Road"みたいだよな」と言いつつ運転している。出会うのは、ヤギの群れと、通学の子どもたちを載せて次々と山の上から下りて来る車(ほとんどが かなり旧式のランドクルーザー)。車の窓は、どれも子どもたちの顔で鈴なりである。この隔離されたエリアにこれほどの数の子どもがいるとは、オマーンでは当分生産人口の減少を心配する必要はなさそうだ。


山に向けて入って行く道路
【グルを抜け、いよいよ山へと向かう道路
(写真の山はシャムス山ではありません)】
列になって道路の端を歩くヤギたち
【意外に秩序のあるヤギさんたち】


かなり登ると周囲が台地状になってきた。舗装道路は終わり、砂ぼこりだらけの道になる。その道の行き止まりが、アルハティムの村だった。村と言っても、ほんの数件家らしきものが並んでいるだけの場所だ。そこに場違いなほど立派なトレッキングパスの説明板が立っている。昨日から何度か同じような看板を見かけて気がついたのだが、説明板の番号は、"Adventure Trekking in Oman"で紹介されているルートの番号と一致していた。


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地図つきの立派な説明版
【トレッキングパスの説明板】
周囲にとけ込む家々と家畜囲い
【アルハティム
(よく見ると人工物があるのがわかります)】


アルハティムの家や家畜囲いの間を抜け谷に向かうと、登山道の起点はすぐにわかった。少し左斜め方向に下ると、崖の上に出て、そこからは目的地の廃村までずっと崖のトラバースである。1本道である上、ルートの要所要所にはペンキで岩にマークがつけてあり、迷うおそれは全くない。深い谷をのぞみながら進んで行く。



クリックすると
大きくなります落差1000m、深い谷

【「オマーンのグランドキャニオン」と
呼ばれる景観】


いくつか尾根を回り込むと、もう振り返ってもどこを通ってきたのやら見当がつかないし、行く手の崖のどこを歩くのかもまったく予想できない。確かなものは自分の足元の登山道だけだ。このルートの終点が崖の中腹にある廃村であることを考えると、この道はもともとその村の人たちが使っていた道を整備したものなのだろう。それにしても落差1000mもあるこの崖を へつって往き来していたのは、一体どんな人たちだったのだろうか。

日ざしはどんどんきつくなってくる。標高が高いのでマスカットやニズワよりも気温は低いのだが、太陽に近い分、刺すような光線だ。キリマンジャロで考案(というほどでもないが)したタオル巻きがとても役に立つ。(←日本サイズのタオルを2枚縫い合わせただけ。簡単でお勧めです(^^))


クリックすると
大きくなります崖の中腹に立つ夫
【奥に見える尾根の向こうから
ずっと崖のトラバース】
歩く幅だけ整備されたルート
【ルートはこんな感じ】



岩壁の下部が崩れ落ちてアーチのようになった箇所
【目的地が見えてきた
矢印の箇所に、
右の写真の棚田跡がある】
ルート上には誰が作ったものか、尾根を回り込む箇所などにケルンが2つ、3つと立っている。中でも数多くのケルンが目立っている場所まで来ると、目的地の岩のアーチが見えてきた。ガイドブックによれば廃村はそのアーチのちょうど真上にあるという。

棚田(段々畑)
【棚田の跡(10倍ズーム)】


ケルン群からちょうど30分。サップバニハミスの廃村に到着した。石を積み上げて作った家々が並んでいる。今は住む人もない家々は黒い入口を見せて並び、壊れた鍵が、確かにここに生活があったことを物語っているのだった。時おり岩にこだまするヤギの鳴き声以外には何の物音もしない。今この瞬間、この高く長い崖の中腹にいる人間は夫と私だけである。風の音を聞き分けられるような静寂の中で家々を眺めているうち、現実から遠く離れていきそうな感覚に襲われていた。


岩がひさし状になった箇所に作られた石造りの家々
【サップバニハミス廃村
崖を利用した石作りの家々】
石を積み上げて作ったウォッチタワーの下半分
【廃村にあるウォッチタワーの遺跡
(矢印は夫)
写真奥の崖を歩いて来た】


ニズワで調達した粗末なランチをとり、残り少なくなった水を気にしながら廃村を離れる。帰路は同じ道。やや登り坂になるのと日ざしが強いのとで、来たときよりも遠く感じた。


クリックすると大きくなりますふたたび岩壁のトラバース
【帰り道】


アルハティムまで戻ると、村の女性2人が「ガハワ、ガハワ」と話しかけてくる。ガハワとはコーヒーのこと。ホスピタリティの現れと理解したいのは山々だが、この土地は山歩きに来る人にラグを売りつけることで有名である。コーヒーを飲むと代金を請求されそうな気がして丁寧に断ると、今度はいよいよ自分たちが織ったラグを買えと言う。見せてもらったそのラグはオマーンの伝統色(らしい)赤と黒の縞模様で、心ひかれるものがあった。ただどうしても使い道を思いつかない。センチメンタルバリューのためだけに買うにしては嵩張りすぎるし、結局買わないでおいた。

それでも彼女たちはあきらめようとせず、「この人はあなたの夫か」、とか「子どもはいるのか」とか話しかけてくる。おかげでこちらも「で、あなたのところは子ども何人?」と聞いたりして、習いたてのアラビア語が通じる喜びを感じることができた。

ややうち解けてきたところで、「写真を撮ってもいい?」と聞くと、即座に「3リアル」だと言う。日本円にして約1000円である。さっきコーヒーを断ったのは やはり正解だった。結局手編みの飾り(のようなもの)を1つだけ買って、アルハティムを離れる。


ラグと女性
【アルハティムの女性とラグ】


谷の向こうに高くそびえる「オマーン槍」帰路は朝背にしていた山々を見ながらの下りである。「オマーン槍」とでも呼びたいような形の山を始め、さすがに3000m近い山脈となると迫力がある。この高い山々があるせいだろうか、ニズワまで戻る途中には幅の広いワディが刻まれ、その上に橋がかかっていて、夏になろうとする今は水こそ流れていないが、日本人の私たちにはとても懐かしくほっとする感じの田舎があるのだった。



オマーンあれこれ

今回の旅行で、
私もまたオマーンという国が大好きに
なりました。たくさん写真を撮ったので、
おまけページが4つもできてしまいましたf(^^;;

オマーンのフォート

オマーンの田舎

マスカットのマトラ地区

オマーンあんな物こんな人



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