データ | |
行程 |
9:00JR関ヶ原駅…9:05東首塚…9:10陣場野(徳川家康最後陣)9:20…9:40岡山烽火場(黒田長政、竹中重門陣)9:45…10:07決戦地…10:20笹尾山(石田三成陣)10:35…10:50島津義弘陣10:55…11:00開戦地、小西行長陣11:05…11:18天満山(宇喜多秀家陣)11:23…11:25藤古川ダム堰堤11:45…12:00大谷吉継墓12:05…12:10大谷吉継陣…12:12小松山展望地12:17…12:25若宮神社…12:40不破の関跡…12:55松尾山登山口…13:12分岐…13:30松尾山(小早川秀秋陣)14:05…14:30松尾山登山口…14:40井上神社…14:48福島正則陣14:53…14:59西首塚…15:15関ヶ原駅 |
コースタイム(歩行時間) | 4時間30分 (所要時間: 桃配山(家康最初陣)含め7時間) |
同行者 | 夫 |
その他 | タクシー関ヶ原駅〜桃配山往復 1,750円 |
大学で国史学を専攻した私は、いまで言う「歴女」のはしり。しかし専門の講義を受けるうち、一般の人が「歴史」と聞いたときに想像する物語的なものと違い、歴史「学」というものが、仮説を立て、証拠(古文書(こもんじょ))を元に論旨を組み立てていく「科学(サイエンス)」であることを思い知ってしまい、自分には手におえそうもないと愕然としたことをよく覚えている。最近の歴女が「武将」について嬉々として語り、蘊蓄を傾けているのを見ると、昔の自分を見るようで、なにか気恥ずかしい気がしていた。 歴女の頃に主に好きだったのは幕末史で、日本が近世(というくくりは日本独自のものですが)に入る前の戦国〜安土桃山時代は、どういうわけか興味の対象外だった。ところが、夫から「関ヶ原を歩いてみたい(=計画してくれ)」と何年も言われ続け、この夏伊吹山中腹から関ヶ原を見下ろしたことが引き金となり、久しぶりに歴女的興味がわいてきた。 折しも2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」は佳境に入り、さらに、毎回出版を楽しみにしている『イシュタルの娘』の最新刊に、ついに関ヶ原の戦いが出てきたとあって、がぜん計画脳が動き出した。 今回は、土曜日にゆっくり広島を出て、午後関ヶ原に到着。歴史民俗資料館で関ヶ原の戦いの概要をおさらい。夜は大垣に宿泊、資料館でもらった資料を見て歩くルートを決定。日曜日に関ヶ原ウォーキングをする、という計画。 |
土曜日: JR東海道線関ヶ原駅。新幹線では通過するだけの地ながら、この駅の前後には、歴史に興味がある人なら目を留める看板がいくつか建っている。思えば昨年両親と旅行したとき、新幹線の車窓から「佐和山城跡」の看板を見て、 ワタシ「さわやまって、誰の居城だったっけ?」 チチ「石田三成」(即答!) という会話をしたことも、今回の旅の引き金のひとつだった。 |
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駅を出て右の跨線橋の方へ向かうと、関ヶ原の戦いに参戦した東西軍武将の家紋を染め抜いた幟が立ち並ぶ。標識にはこの地ならではの行き先が並び、気分がたかまっていく。 | ||
駅から徒歩10分の関ヶ原町歴史民俗資料館。半日ほどで終わった関ヶ原の戦いの様子を時間の経過に従って見られるジオラマがあり、とてもおもしろい。「関ヶ原合戦史跡めぐり」という、わかりやすい地図も入手できる。 | ||
資料館にあるレンタサイクル取扱所。かっこいいですね! | ||
駅へ戻る途中に見る南宮山。西軍の毛利秀元はここに陣取っていたが、参戦せず。(東軍と密約があったと言われる。) 徳川家康最初陣のあった桃配山は、この南宮山から派生する尾根の先端にある。この配置を見ると、密約があったことがうなずけてしまいます。 この後、大垣のホテルへ移動。夜は「史跡巡り」の絵地図と2.5万図をつきあわせて予習し、主なルートから外れる武将の陣地はとばして歩くことに決めた。 |
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日曜日: 翌朝、ふたたび関ヶ原駅を起点に歩きはじめる。跨線橋を渡るとすぐ左手にあるのが松平忠吉・井伊直政陣。 |
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東首塚(写真は前日撮影)。 松平・井伊の陣はこの敷地の一画にある。 |
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東首塚から徒歩5分弱。ふたたび歴史民俗資料館まで歩き、道路を隔てた広い敷地に入る。ここは徳川家康最後陣、陣馬野と呼ばれる。 桃配山で戦況が動かないのに業を煮やした家康が前進して陣を置き、戦いが終わった後、首実検をしたところ。 |
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さて、家康最後陣を出ると、いよいよ本格的にウォーキングが始まる。住宅街を抜け、街の北側に連なる丘陵地を目指す。 | ||
R21関ヶ原バイパスを渡ると、丘陵地に入り登りとなる。 | ||
次に目指すのは丸山(岡山)烽火場。入り口に「クマ注意」の看板あり。ネット上の関ヶ原ウォーキングの記録を見ると、多くの人がこれに驚いている。しかしふだん西中国山地を歩いている我々には珍しくもない光景。 | ||
竹林の道を折り返していくと・・・、 | ||
黒田長政・竹中重門が陣を置いた丸山烽火場。長政幼少の頃の経緯を知っていると、長政・重門という組み合わせに感慨を覚える。 |
丸山烽火場から、山道を次の目的地へ。 | |
山道を下ると遊歩道となり、ため池が三つ並ぶエリアを通る。この写真は中田池。次の小栗毛池の北端で谷を渡り・・・、 | |
こんどは八幡池。この辺り、歩いていてとても気持ちがいい。 | |
八幡池西端から、歩いてきた方向を振り返る。 | |
やがて車道に出て、関ヶ原バイパスの下をくぐる。 | |
決戦地。小早川の寝返りにより、東軍が三成のいる笹尾山(黄色い矢印)を目指して一気に押し寄せたことで、激戦地となった場所。 | |
決戦地から笹尾山はとても近い。三成陣のすぐ下には、「三成に過ぎたるものが二つあり」と言われた島左近の陣がある。 | |
笹尾山へは、上の写真の島左近の陣の右側に見える階段を登る。短いけれど山道。 | |
笹尾山、石田三成陣。山頂ではないが、尾根上の一画を笹尾山と呼んでいるようだ。 |